タオの暗号: 原版老子書「秘儀」活用法

どうも管理人の963Kumaです
今回のテーマは、「タオの暗号: 原版老子書「秘儀」活用法」
2011年8月31日発行 著者千賀一生さん

世界で初めて明かされる老子書の驚くべき秘儀とは?中国雲南省の秘境には、隠されたその教え(聖なる性の秘儀)を継承し、生命の悦びに満ち溢れた人々の姿があった
支配者が性の抑圧を強めることで、民衆は性意識を歪ませ、その代替となる様々な欲望へと引き寄せられてゆく
(Google Books引用)

著者が中国の山奥に行き
そこで老子の「道(タオ)」を、M老人という方から教わるという内容

タオの本質的な考えに沿って生きる村での体験を通じて学んだことが書かれている

老子のタオは、老子自身の書物「老子道徳経」にて詳しく解説

その「表向きの意味」とは違う「裏側に隠された真の意味」をM老人から学んだ

M老子の人間哲学、道徳の中に「セックス」や「性」に関係することが
隠されていることを伝えている

タオとはなにか?

タオっていうのは何かというと
宇宙の法則

スピリチュアルなトンデモではなく「科学の法則」に近いようなイメージ

高いところからボールを落とせば地面に向かって落ちる風船を膨らませると、空に飛んでいく

生まれたら、やがて死ぬ

そんな自然の中にある、あらゆる法則
それを「道(タオ)」と呼んだ

タオは、この自然の法則から人が学べることは何だろうか?
人はどうあるべきだろうか?というのが、老子の哲学の話

宇宙の法則から学んだ
人としての生き方、在り方

自然の法則、タオの法則に従った生き方、
それを行っている人を「徳」と表現した

「道」から学んだ生き方を「徳」という

つまり、「道徳」なわけです学校で教えているのは道徳じゃなく、儒学、儒教
礼儀や孝行というもの

自然、宇宙の法則・・・道(タオ)人の生き方、あり方・・・徳
といえる

ここで重要なのは、人間の生き方「徳」は常に「受け身である」ということ

反対に、宇宙の法則、道(タオ)は常に「与える側である」ということ

太陽の暖かさがあるから生きていますその日を浴びて、食物が育ちます
それを僕らは食べて、日々の力に変えていふ

農家であっても、自然の恵みを頂いていることに
変わりはありません

今現在、引力や重力に支配されて支配されてないとプカプカ浮いてしまう

僕らは常に、どれだけ足掻いてもこの宇宙の法則に
支配されて生きているわけで

常に受け身であるということだから、この自然の法則に身を任せて生きる
それを老子は「無為自然」自然の法則に従って、生きる

それこそが「道(タオ)」

タオの暗号とは「セックス」に関係しているというのが、このタオの暗号: 原版老子書「秘儀」活用法

自然の法則、道(タオ)に対して雌のように従順でありなさいという意味

下世話なエロの話ではなくまた性差別主義者でもなく

性というものの本質を書いたもの

道(タオ)とは性質は「陰」と「陽」

「表で書かれている意味」には必ず
「裏の意味」が無いといけません
陽には陰が、陰には陽が2つは1つ

「道(タオ)」と「徳」は借字
ダブルミーニングになっているという

ダブルミーニングは(double meaning)
同じ音の言葉に2つの意味を持たせる
駄洒落という解釈

道(タオ)と徳にも充てられている
というのが、M老人の言葉

道(タオ)は「擣(tao)」の字を
徳は「竇(tou)」の字を

表しているのだという話

道(タオ)は自然の法則であり
常に「与える存在」

徳はその法則に身を任せ生きる
「受け身のもの」

老子は逆説表現の天才です
また皮肉屋でもあります
哲学者としてら文学者として
反対のことを言いながら、正しいことを言う
「急がば回れ」のような表現

宇宙の、自然の法則に従う、美しく尊い性交と自然の在り方から外れ、人間がつくってしまった
醜く、争いの元である「(世間一般の)道徳」を対比で表現しているという所が
老子のセンスが抜群な

宇宙や自然との交流、交感
僕たち人間はただ、道(タオ)に与えられるものを
受け止め味わうだけでいい

そこには無限の喜びと幸せがある

それはまるで男性器に
突かれる女性器のように
ただその快感を恍惚と味わうだけでいい

そこには尽きない無限の悦びと幸せがある

陰と陽
道(タオ)と徳
そして男と女

その2つが交わって一つになる時
性という力が生まれ、宇宙を生む万物創成の力と
無源の恍惚と幸福感が生まれる
というお話になる

ただセックスすれば良いんだ
ということではない
それが本書で言うとこの
「うつろいゆくセックス」

セックスが快楽を生むこと知っている

情事の最中はただただ幸福ですが
行為が終わってしばらくすれば
快感は収まる

そういった「その場だけ気持ちいい」
性の話ではなく

根本にあるのは

この宇宙、道(タオ)と
僕ら生命、万物の交わり

宇宙や自然から与えられるものを
ただただ、快感に酔う女性器のように
受け止めなさい

その交わりによって
性という、生命の根本の力が
生まれると同時に、幸福と快感が
その身に宿る

自然、天地の恵みである作物と
自身の身体の交わり

食べたものは身体に
エネルギーとして吸収され
生きる力になる

ご飯を食べるというのは
ある意味では食物と食べる側との
セックスみたいなもの

宇宙や自然との交わり
それをただただ感じて受け止めて生きる姿を
「徳」、女性器のようと老子は言うわけ

人とコミュニケーションを取ること
共感しあうことだって立派な交わり

僕らはこの宇宙や自然に
支配されています

「支え」「配り与える」
ネガティヴな考えでなく守られているといっても良いかもしれません

そう考えていくと
人間に出来ることなんて
ほとんどない

自然の在り方に従って
生きようというのが無為自然の考え

自然と交われば、
自然と動くように出来ています
僕ら人間もまた自然の一部

夫婦関係で悩んでいる人、上手くいかない人にはオススメの本

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